Islamic State(イスラム国)

2017年12月6日 14:01 | カテゴリー: ブログ

イスラム国という和訳はかなり違和感がある.やがてもっと適切な訳語が出てくるだろう.それまではISと呼ぶことにする.ISを率いるアブー・バクル・アル=バグダーディーには全く共感できない.恐怖で人を動かそうという輩を私は認めない.しかし,ISに参加しようとする人の気持ちは分かるのだ.イスラム文化のこれまでの不遇を思うと,西側社会へ反発する人が出てもそれほど不思議ではない.その辺りの思うところを書いていこうと思う.
イスラム文化には優れているが評価されていない部分がある.例えば,数学や物理学上の発見はヨーロッパでそれが発見されたと言われている時期より前にイスラム文化でそれが発見されていたという例が少なくない.しかし,それが注目されることはないし,学校ではヨーロッパで最初に発見されたと教わる.これには不公平を感じる.
イスラム文化で私が特に感心しているのは報復に係る部分である.
クルアーン第5章45節命には命を,目には目を,鼻には鼻を,耳には耳を,歯には歯を,全ての傷害に同じ報復を.しかし報復せず許すならば,それは自分の罪の償いとなる.
これは報復を奨励したものではなく,無制限報復が一般的だった原始社会で報復行為を制限する目的があったそうだが,そこは重要ではない.私が重要視しているのは報復すなわち同害賠償が認められていることそのものである.現在の日本の法律には同害賠償の概念はない.これがないことにより以下のような事態がおきると被害者の家族はほぼ無限地獄に陥ってしまう.
家族がある悪者に殺されてしまった.悪者は捕まって裁判をうけたが,死刑にならなかった.
この状況で,被害者の家族の苦しみや恨みが消える日が来るだろうか.キリスト教ではどのような悪人も赦すとあるが,イエス本人は家族を殺されても心穏やかでいられただろうか.仏教でも悟りを開くと何もかもから解放されるそうだが,仏陀本人が家族を虐殺されて平気でいられるかどうか.まして普通の人間が家族を殺されて心穏やかでいられるはずがない.もし,残された家族が恨みや苦しみから解放されて,心穏やかになれるとしたら,それは犯人が死刑になったときだけだろう.このような事態のとき,同害賠償を定めているイスラム教は近代文化とされる西洋の刑法よりも被害者の家族に対して優しいと思う.
同害賠償の規定があることで,私にとって最悪の事態が起こっても(家族が殺されても),残りの人生を恨みと呪いにまみれてもがき生き続けることからは免れられるのはとても重要だ.これだけのためにイスラム教にすがりたくなる.家族が殺される以外の事象では,例えば大病を患うとか,大けがをするとか,破産するとか,騙されるとかからは,人間は立ち直れるものだ.唯一,家族が殺される事だけが,立ち直ることのできない事象だと思う.
同害賠償の例だけを挙げたが,これ以外でもイスラム文化は西洋文化に勝る部分があると私は思っている.どちらかが優れていて,どちらかが劣るとは言えない.それなのに現状はどうだろうか.イスラム文化圏の人は西洋文化圏の人と同じように快適に生きているだろうか.何をもって快適とするかでいかようにもとれる話なのだが,直感で答えるとイスラム文化圏の人は不便な暮らしを我慢しているように見える.何のために我慢しているのか.それは西洋文化圏の人が贅沢に暮らすための資源やエネルギーを供給するためではないのか.もし,イスラム文化圏の人が西洋文化圏の人と同じように資源やエネルギーを浪費したら地球はどうなってしまうのか.地球温暖化はもっと加速するのではないか.食糧はもっと足りなくなるのではないか.西洋文化圏の人は,我慢してくれている人のおかげで快適な暮らしを手にいれているのではないか.
この不公平にイスラム文化圏の人が気付いたら,西洋文化圏を敵対視するようになっても不思議ではあるまい.アブー・バクル・アル=バグダーディーはそんなイスラム文化圏の人の気持ちを利用して,ISを動かしているのだ.
新聞などの論評を読むと「考えなしの若者が戦争にあこがれて義勇軍としてISに参加している」とよく書いてある.そういう若者もいるとは思うが,本質はそうじゃない.一流の新聞社がそれに気づかないとは情けない限りだ.